北の国から 2022初夏~富良野・美瑛

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  • Опубликовано: 2 фев 2025

Комментарии • 6

  • @チヤ子阿部
    @チヤ子阿部 Год назад +1

    今日の新聞にファーム富田!懐かしかったあの風景忘れない 30年前❤

  • @水島輝子
    @水島輝子 Год назад

    素晴らしい風景❤とメロデー癒やされます。ありがとうございます。😢

  • @EngelsFriedrich
    @EngelsFriedrich Год назад +3

    私は作家の倉本さんがこのドラマで大事にし描こうとしたのは、自然や季節や森の動物や人間たち、その一つひとつとの「出会いと別れ」だったのではないか、と思っている。その中でも、このドラマ群は特に「別れ」に大きなテーマ性を持つのではないだろうか。
    あれは、何回目の放送だっただろうか。母親の葬式にまつわる話があった。純と蛍が新しい靴を買って貰った時に、それまで履いていた古靴を店員さんに「捨ててもいいか」と聞かれ、断れずに「捨てていい」と答えてしまう。だが、後で父親の苦しい生活の内実を身内から聞き、捨てた古靴を後悔して夜中に探しに行くシーンがあった。その古靴は、父親の五郎がなけなしの金をはたいて買ってくれたものであった。思えばここにも別れがある。母親との別れ、古靴との別れ、そして何よりも父親の五郎は東京の生活と別れ、北海道富良野にやって来た。純と蛍もまた都会の電気やケーキと別れ、この麓郷の森にやって来たように思える。彼らは電気に頼らず、自分で水を引き自給自足の生活をする。物を大切にし、併しながら、物に振り回されず動物と共存し、自然と共に生きてゆく。かつて、「なんとも貧乏くさいドラマだなぁ」と古い友人が云ったのを憶えている。だが、国内外の豊かな物に溢れた生活を行いながら、しばしば物の値打ちに麻痺してしまった今、倉本氏の訴え続けたこのドラマを馬鹿に出来る人がどれだけいるだろうか。ハイデガーは、「世界」は道具的連関によって見出されると云った。物、つまり道具はただ人間に所有されるだけのものではなく、その配慮の連関の中で「交渉」として出会われる存在なのだと云う。捨ててしまった古靴が、そのことを現しているであろう。ドラマの名シーンを、深い記憶の底から鮮やかに呼び起こすこの演奏に感動を覚える。優美な映像と共にUP主さんに感謝(長文失礼)。

  • @勝ちゃん-l6c
    @勝ちゃん-l6c Год назад +1

    北海道らしい映像で癒やされます。
    デッカイ道、て感じです。

  • @北幸彦
    @北幸彦 Год назад +5

    一度しか行った事しか有りませんが、とにかく道路が真っすぐで周りは畑!食べ物は美味しかった。死ぬまでにもう一度行きたいです。

  • @小島文江-l6z
    @小島文江-l6z Год назад

    素晴らしい光景と音楽が相まって💧ありがとー😃